「スピッツの○○」
スピッツというバンドを一言で表現するのはとても難しい。一言でなくても、難しい。
ある人にとっては「ポップス」だけど、ある人にとっては「ロック」だったり。
ある人にとっては「優しい」けれど、ある人にとっては「とがって」いたり。
スピッツとの出会い
自分がスピッツを意識的に聴くようになったのは、2006年頃だ。当時中学生だった自分にとってスピッツは「さわやかJポップ」だった。
ただ、シングル集のあとに「ハチミツ」を聴き、「空の飛び方」を聴き、「名前をつけてやる」を聴き始めたあたりから、
「ん?」
と思い始め、スピッツへの評価が変わり始めた。
この人達は、なにかとても天の邪鬼な方法で、ちょっとだけメタなことを表現しようとしている。
この「天の邪鬼な方法で」というのが、(中学生という年代のせいもあり)当時の自分にとっては重要だった。外形的には「さわやかハイトーン」でありながら、聴く側に大きな「妄想の余地」を残すような曲たち。
そんな曲たちにすっかり魅了され続けて約15年、気がつけば三十路近くになっている。
あえて「普遍性」に騙される
スピッツ以外にも好きな音楽アーティストはたくさんいるが、通学・通勤中はもっぱらスピッツばかり聴いてきた。
その際、全アルバムをシャッフルで聴くことが多いのだが、草野マサムネの歌声の安定性や歌詞の抽象度も相まって、各曲に時代性を感じることは少ない。もちろんいい意味で。
このあたりが、スピッツが「どの時代に生きる人にも受け入れられる普遍性を持った」*1だとか「誰の心にも重なるという普遍性」*2をもつだとか言われている理由だろう。
けれど、本当にそんな普遍性あるのか?、とも思う。草野マサムネ自身、様々な社会事象に影響を受けて楽曲制作を行っていることを各所のインタビューで語っている*3。また、そもそも人間が歳を重ねていきながら曲を作っていく際に、普遍的なことを歌っていくことなど出来ないだろう。だから、スピッツの楽曲がどのような時代にも、誰の心にも響くような普遍性をもつ、というのはマヤカシだと思う。
だが同時にこんなことも思う。
このような疑問に対する答えを探るためには、スピッツが持つ(とされている)普遍性に一旦騙されて、スピッツの楽曲に共通する何らかの要素を括りだしてみるのも悪くないだろう。
スピッツの○○
長くなってしまったが、このようにして考えたのが「スピッツの○○」だ。
「○○」には、「生き物」「外国語」「色」「地名」などなど、様々なキーワードが入ると考えている。
スピッツの数多くの楽曲の中から、このような特定のキーワードに関連する楽曲を抽出し、そのキーワードとスピッツとの関係を考えてみる。
もしもある特定のキーワードでたくさんの曲を括ることが出来るなら、スピッツというバンドとそのキーワードはなにか「普遍的」な関係を持っている可能性がある。
また、日々繰り返し聴いているスピッツの楽曲たちを振り返り、特定の観点からスピッツというバンドを多面的に捉える機会になればいいな、とも考えている。
次回は第1回目として、簡単そうなところから始めてみようと思う。
第1回は「スピッツと生き物」(予定)。
*1:https://www.musicvoice.jp/news/20170610065732/
*2:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20170627-00072582/
*3:「草野マサムネのソロインタヴューでは、今作に東日本大震災が影響したことを認め、その変化を『言い方が適切かはわかんないけれども、もう《誰も触われない二人だけの国》に閉じ籠もれなくなったというか。そのへんは変化ですよね』」https://rockinon.com/news/detail/87762